この度は天井川の様子がよく分かりました
草津宿は6年前に訪れていましたが、この度は別の方から入った関係でこの天井川の様子がよく分かりました。前回は石山寺を観光してからでしたが、今回は、西国12番の岩間山、正法寺。義仲寺(木曽義仲、巴御前)、草津宿本陣の順番でを訪れました。草津宿は中山道と東海道の分岐点で交通の要所であったのです。草津宿本陣は江戸時代の姿をよくとどめており昭和24年に国の史跡に指定され全国に残る本陣の中でも最大規模を有しています。
日々の生活を気ままにつづった日記帳。
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この度は天井川の様子がよく分かりました
草津宿は6年前に訪れていましたが、この度は別の方から入った関係でこの天井川の様子がよく分かりました。前回は石山寺を観光してからでしたが、今回は、西国12番の岩間山、正法寺。義仲寺(木曽義仲、巴御前)、草津宿本陣の順番でを訪れました。草津宿は中山道と東海道の分岐点で交通の要所であったのです。草津宿本陣は江戸時代の姿をよくとどめており昭和24年に国の史跡に指定され全国に残る本陣の中でも最大規模を有しています。
今回は修学旅行生がたくさん。
法隆寺へは、5年前に見学していましたがその時は4月だったので
修学旅行生は全くいませんでした。が、今回は6月の為修学旅行生がとても多くビックリしました、更に驚いたことは、食事場所で鳥取の国府東小学校の6年生が同席したのです。ただの偶然なのでしょうが神のいたずらにまたヒックリしました。午前中は、「ぽっくり往生の寺」吉田寺(大和の斑鳩 創立天智天皇の頃)を参拝してからの食事時のことでした。法隆寺のあとで、法起寺(創建は正徳太子の頃)を見学し三重搭(国宝)や木造11面観音菩薩立像を見て帰りました。
生野銀山を見学しました。
兵庫県の朝来市生野の口銀谷の散策と生野銀山を見学しました。
口銀谷は江戸時代から明治・大正・昭和にかけて生野銀山で栄えた町でした。江戸時代には生野銀山を幕府直轄地として貴重な財源とした。その関係で、代官所跡があったり、東西寺には徳川歴代将軍位牌が祀られている。また明治29年には、三菱合資会社に173万円で(佐渡と生野銀山)を払い下げられた為、三菱の重役社宅などが現存するしまた映画俳優の志村隆の生家もある。
生野銀山は、総延長350Km、深さ880mにも及ぶが昭和48年には、採掘コストが増加し、山ハネ等の要因で閉山し1200年の歴史に幕を閉じた。
最近の画像3題。
初めの画像は、いつもの太閤ケ平からの島根県の隠岐の島です。
太閤ゲ平は市内から見て久松山の後方にある山ですが少し久松山
よりは低い山です、日本海の北西方向の眺望が開けています。
4月の終わりの雨上がりの日に、隠岐の島の撮影に成功しました。
最近は、中国からのお土産でなかなか視界が悪く隠岐の島は見ることができにくく年に数回しか見れなくなりました。
肉眼では雲かと思いながら半信半疑で写しました。(倍率50倍)
2番目の画像は、花筏です、葉っぱの真ん中に小さな花を付けます。水木(みずき)科。今ハナミズキも開花中です。
3番目の画像は、ホウノキ(朴の木)の花です。落葉の高木で、高さ10mを越え、巨木になると幹径1m高さ30m近くになるということです。
葉は大きくて、葉質は厚く長さ20~40cm前後になり、幅広の倒卵型(葉の先のほうの幅が広い)で葉先は三角形状です。
花は晩春から初夏に咲き、径15cmほどもある大きなもので、花被片は黄白色で9~12枚ほどもあり、芳香があります。
今度は、アオゲラを写しました。
旅行社のツァー(信州7大桜絵巻)先で、今度はアオゲラを写すチャンスに恵まれました。小諸城跡懐古園で桜を見ていたのですが何やら変わった鳥を見かけた為、暫く狙ってやっとこのチャンスに恵まれました。桜の名所100選に選ばれている場所ですが桜は少し時期が早かったようでした。このツァーでは、念願の松本城の見学もありそして、高遠城址公園(天下第一と言われる桜の名所)ではちょうど満開で満足のいく旅でした。
http://www.kanko.komoro.org/event/04_10kaikoen-sakura/
http://inashi-kankoukyoukai.jp/cms2/archives/852