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イギリスからデービットが再び鳥取へ

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嫁の兄貴の奥さんが昨年の末に亡くなって葬儀の始末にその子供がデービットと伴に鳥取にきました。ささやかな昼食会を開いたのですが遠慮か?食べたくなかったのかわかりませんが最低の食事メニューを指定しました。昨年の夏に来て以来半年ぶりの再会でした。
話は彼の親や家族、先日地震があったのでイギリスの地震状況などの話に花が咲きました。ディビッドの父親は大学の教授だったそうです、母はまだ健在ですが、認知症でした、その面白い逸話が面白かった。ディビッドは割と日本の観光をしていて日本中の話になりました。そして青森の太宰治の話までになりました。治の魅力にひかれたきっかけは、東京の本屋さんで英語の本が無くあったのは太宰治だった(昔の当時)帰りの飛行機で読みふけり笑いこけたそうです。話は尽きないのですがこの辺でおしまいにします。



この動画は初め縦で撮影していたのですがすぐに横 撮影にしました。縦横変換は「Shot Cut」で編集しました。

2016年2000年以来の山陰地方を地震がM5のレベルで襲う

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2016年2000年以来の山陰地方を地震がM5のレベルで襲う
1月6日10時18分頃山陰地区をM5で鳥取では震度3の地震が襲った。その後も3回程度の有感地震があった。久しぶりの地震でTVやスマホや地域防災のラジオからけたたましく放送が流れた。2000年はまだ会社に居たので仕事で対策をした覚えがよみがえる。2016年の地震は少し規模が小さかったので、仕事から離れていたのであまり緊張感はなかった。長く生きているといろいろなことがあって肝を冷やすことが度々発生する。阪神の大震災や東北大震災はその中でも異常に規模が大きかった。能登半島の地震はまだ記憶から消えずに残っている。この度の地震では米子や日野地区境港など西部地方では災害状況がだんだんと判明してきている。

私の兄妹(長女100歳)の葬儀?に行く

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私の兄妹(長女100歳)の葬儀?に行く。
長女100歳は11月初めに永眠しました、訳けあって葬儀には参列できなかったので、時間は少し過ぎましたが兵庫県の夙川の長女の子供(長男宅)に次女の子供の車で出かけました。次女は高齢のため同乗はしませんでした。同乗者は青谷の三女と私の三人でした。鳥取を10時に出発して、夙川には13時半を目標にゆっくりしたドライビングでした。幸いにも天気は良くて快適でした。途中「加西」のSAで休憩。
目的地には少し早く到着しましたが、長らくご無沙汰していたので家を見つけるのに若干時間を要しました。長男宅についたら夫婦が出迎えてくれていました。挨拶もそこそこに線香をあげてからしばらくは姉の事やら姉の主人の事、そして、親族の昔話が弾み、2時間半ぐらいの長話になりました。話は尽きないのですが、帰宅時間の予定もあるので話は切り上げることにして。長男宅を後にしました。帰路も途中「加西」のSAで休憩。鳥取には5時半が過ぎていました。久しぶりの長男はまだ若々しく、定年には成っていましたがしばらく関係会社でお手伝い程度の仕事で余暇を満喫しているとのことでした。次女の子供には、「報国」訪問以来また随分とお世話になりました。多数の人が写っている写真(長男家族)を写したので鮮度が悪いです。二人の写真は長男夫婦です。

72年振りに子供の頃に育った処を訪れる

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72年振りに子供の頃に育った処を訪れる。
私は、第二次世界大戦の2年前に生まれました、そして訳あって東伯郡の報国に開拓団として疎開しました。父親は慣れない農業の中、風が元で私が4歳ごろにこの世をさりました。母親は5人の子供を抱え農業に励みましたが貧乏暮らしに耐えかねて、私とすぐ上の姉を養子に出しました、私は、小学校3年の鳥取大火の冬のことでした。もともと父は鳥取の大工町の入江家の次男でしたが大学進学で京都に下宿していました。そこで母と知り合い結婚しました。その母は千葉県の御宿の庄屋の娘でしたが、縁あって京都の親戚に養女で暮らしていました。兄弟は8人(男5、女3)a)長女は、市議会の議員の息子と結婚していました、次男は、父の兄貴には子供がいなかったので養子に入りました、ここまでは報国に入植する前なので戦争中でしたが割と豊かな生活だったようです。入植後に次女は父の長男の家にお手伝いさんで入りました。次女はお手伝いさんに入るまでは、小さな私の面倒を見てくれました。長男や次男、三男、5男はすでに若くして永眠していますが、つい最近長女が99歳で永眠しました。次女と三女と私が鳥取で生き残っています。この度次女の子供の世話で鳥取の生き残りが、私たちが生活した、大山のふもとの報国を訪れることにしました。私は結婚した当時に一回だけ育った処を嫁に見せるために訪れています。54年も前の事でした。その時は子供の頃のイメージは残っていました。今回の訪問では半世紀の年月は言葉では言い尽くされない残酷な事実を見せつけられました。我々が育った処にはたくさんの樹木が生えて昔の面影はありませんでした。
写真の電柱が立てっいる処の前の約80平米のところです。Googl写真では大山町羽田井となっていますが、私たちが住んでいたころは、東伯郡報国でした。35.48016229719745, 133.57972008975796。
場所は「下市」から5kmぐらい南に入った処です.
朝な夕な雄大な大山の北側を見て6年間過ごしました。



赤いセーターの奥さんは報国の近所の女性でいろいろとお話が弾みました、ですが私の思い出の中には無い人でした、白髪交じりの女性は三女で青谷に住んでいます。次女は90歳が近いため車に乗ったままです。比較的に若そうな女性は次女の子供で今回の足をしてくれました。

30年も経つと正に脅威

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30年も経つと正に脅威
我が家を立て替えるときはわずか5cm程度の小さな木であったように思っています。ところが30年も経つと樹木のメリットはなくなって近所迷惑になってきました。
隣近所は空き地だったり今は居住していない家だったりで、秋になって樹木の落ち葉が気にならなかったのですが、隣の家がリニュウアルして新しい人が引っ越してこられると、落ち葉が気になるようになってきました。ご迷惑が掛かるようになってきましたのでこの際この木を伐採することにして今日業者さんにおねがして切ってもらいました。この木の名前を聞いたのですが忘れてしまいました。
朝9時から始まって14時半ごろにはすっかり姿を消してしまいました。根元まで処分すると予算も高くなってしまうので切り株はのこしたままとしました。

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