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寺内町ってどんなとこ

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寺内町ってどんなとこ。

大阪富田林の寺内町に行ってきました。寺内町(じないちょう、じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、
道場(御坊)を中心に形成された自治集落のこと。濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。という事でここには江戸末期から昭和にかけて建設された建物がのこっていました。興正寺別院 妙慶寺 旧杉山家住宅 奥谷家住宅 上野家住宅 木口家住宅 葛原家住宅 葛原家住宅 三階蔵等沢山の建物が現存していました。
合わせて弘川寺にも、665年、役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。
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今年二回目の初詣に行ってきました

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今年二回目の初詣に行ってきました。
初詣の第一回は伏見稲荷でした、今度は金毘羅さんでしたが正月も26日になると初詣客もまばらでジックリとお参りが出来ました。善通寺も然りでした。通常では見落としていた場所があり幾度か行った事があるのでしたが新たな発見が有りました。善通寺では大きな楠木、金毘羅さんでは白馬が飼育されていたり、珍しい灯籠が見つかりました。旅の締めくくりは、銭形砂絵でした。以前から行ってみたいと思っていたので良かったです、でも思っていたより規模が小さかった。

奈良の二月堂にお水を送る神宮寺に行ってきました

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奈良の二月堂にお水を送る神宮寺に行ってきました。
今回は二回目でした、前回はアメリカのオバマ大統領が当選して小浜にスポットが当たっていたときでした。
若狭姫神社と神宮寺は歴史が深く和銅7年(西暦714)頃に建立されたものです。何と言っても凄いのは、1300年も前から神宮寺の神事で奈良の二月堂のお水取りに水を送っていることでした。若狭姫神社の境内には千年杉が見事でした、また昭和17年の相撲の番付表が飾ってあり珍しく拝見しました。
お水送りの神事については動画を入手しましたのでそちらをごらんください。

神宮寺の説明によるとこの寺は、奈良の平城京の真北になっている
との事でした、したがって水を送り込む鵜の瀬は2月堂の真北になります。寺内の仏像の配置は神仏混合でここだけの配置であるとの説明を聞いた。

お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。

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お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。
真如堂(京都市左京区浄土寺真如町82)には親の墓があります。ここに斎藤利三の墓がありました。
福に関する墓があると噂を聞いて居たので、地元の人に訪ねて漸くたどり着いたのがこの写真(墓)でした。
名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で
斎藤利三は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて処刑された。

すぐ隣の金戒光明寺には、お江の供養塔がありました。
春日局(かすが の つぼね)つまりお福、は斎藤利三の娘である、
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、
小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる。福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。
江戸幕府3代将軍・徳川家光(幼少時名:竹千代)の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
出生地については光秀の居城のあった丹波亀山城(京都府亀岡市)や坂本城(滋賀県大津市)などの異説がある。
墓の説明文によると、お福(徳川家光の乳母)がお江(徳川家光の生母)の関係から、お江死後に供養塔を建立したとある。

←お江供養塔の説明図

七年ぶりの平城宮跡は静かでした

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七年ぶりの平城宮跡は静かでした
七年前に朱雀門と大極殿を見学したときは凄い人だかりでしたが、あれから七年も立つと見学者は数えるほどでひっそりとしていました。辺りは工事現場の建物があり、草がたくさん茂って居ました。
今回はボランテァの説明者も手持ち無沙汰で我々に懇切丁寧にガイドしてくれました。平城宮跡資料館にも足を伸ばしガイドの説明を受けましたので、当時の生活がよくわかりました、特に当時の役所に務めるサラリーマンの事が木管にかかれており今も昔も同じである事がわかりました。近くの総国分尼寺の法華寺にも足を伸ばしました。ここには国宝の十一面観音立像があります。

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