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お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。

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お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。
真如堂(京都市左京区浄土寺真如町82)には親の墓があります。ここに斎藤利三の墓がありました。
福に関する墓があると噂を聞いて居たので、地元の人に訪ねて漸くたどり着いたのがこの写真(墓)でした。
名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で
斎藤利三は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて処刑された。

すぐ隣の金戒光明寺には、お江の供養塔がありました。
春日局(かすが の つぼね)つまりお福、は斎藤利三の娘である、
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、
小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる。福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。
江戸幕府3代将軍・徳川家光(幼少時名:竹千代)の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
出生地については光秀の居城のあった丹波亀山城(京都府亀岡市)や坂本城(滋賀県大津市)などの異説がある。
墓の説明文によると、お福(徳川家光の乳母)がお江(徳川家光の生母)の関係から、お江死後に供養塔を建立したとある。

←お江供養塔の説明図