記事一覧

トップ > 旅行

七年ぶりの平城宮跡は静かでした

ファイル 180-1.jpgファイル 180-2.jpgファイル 180-3.jpgファイル 180-4.jpg

七年ぶりの平城宮跡は静かでした
七年前に朱雀門と大極殿を見学したときは凄い人だかりでしたが、あれから七年も立つと見学者は数えるほどでひっそりとしていました。辺りは工事現場の建物があり、草がたくさん茂って居ました。
今回はボランテァの説明者も手持ち無沙汰で我々に懇切丁寧にガイドしてくれました。平城宮跡資料館にも足を伸ばしガイドの説明を受けましたので、当時の生活がよくわかりました、特に当時の役所に務めるサラリーマンの事が木管にかかれており今も昔も同じである事がわかりました。近くの総国分尼寺の法華寺にも足を伸ばしました。ここには国宝の十一面観音立像があります。

久しぶりに花回廊に行ってきました

ファイル 169-1.jpgファイル 169-2.jpgファイル 169-3.jpgファイル 169-4.jpgファイル 169-5.jpg

久しぶりに花回廊に行ってきました

何年ぶりでしょうか、花回廊に行ってきました。
天気は梅雨に入ったばかりなので、あまり芳しくない天気で、
写真をたくさん写したのですが折角の花の風景が暗くパーとしません。
ユリの花壇がありたくさんの花が植えられていましたがまだ咲いてはいませんでした、ドームの中では蘭(ラン)が美しく咲いていました。

52年も過ぎての同窓会を京都で

ファイル 164-1.jpgファイル 164-2.jpgファイル 164-3.jpgファイル 164-4.jpgファイル 164-5.jpg

52年も過ぎての同窓会を京都で。

高校を卒業して実に52年。隔年の同窓会ですが、よくも続いています。我々の同僚は高度経済成長の時代で、関東ゃ関西に就職したも者が多いためタマには、関西で実施しようとしうことで今回京都で合うことになった。折角京都まで出向くのであれば何かの催しと抱き合わせが良いということで、世話役幹事は、早くからホテルをキープしてくれていた。お陰様で、時代祭をベストボジションで見学ができてとても満足しました。同窓会はそこそこで、その他の観光もしました。梅小路のSL博物館、二条城、祇園など予定した観光は全てこなしました。時代祭の後半は少し小雨が降り出しましたが
行列は貫行されました。

大阪の堺には、家康の墓と称する墓を祀る寺がありました

ファイル 161-1.jpgファイル 161-2.jpgファイル 161-3.jpgファイル 161-4.jpg

大阪の堺には、家康の墓と称する墓を祀る寺がありました。

堺の南宗寺には家康の墓と称する墓がありました。大阪夏の陣の時に後藤又兵衛に槍で刺されてこの寺で絶命したとの言い伝えがあり、あまり古くない墓が祀って有りました。ここには千利休が修行した事があり利休一門(裏、表)の供養塔があります。
明治10年に建設され、木造で石油ランプの光源で約18kmまで届いたと言われる現存するが稼働はしていない灯台も見学した。そのた、
妙国寺、千利休屋敷跡、土佐藩士の墓、山口家住宅を見学した。

千本閻魔堂(引接寺)にお参りしました

ファイル 158-1.jpgファイル 158-2.jpgファイル 158-3.jpg

千本閻魔堂(引接寺)にお参りしました。
京都の3つのお寺にお参りしました、始めは引接寺でそこで閻魔さんにお願いをしました、地獄には引きずり込まないでと。閻魔様は人間を三悪道に行かせたくないために、怒りの表情で地獄の恐ろしさを語り嘘つきは舌を抜くぞと説いてくださるそうです、お寺の尼さんらしき人は、盆の彼岸のしきたりを教えてくれました。菅原道真公をお祀りしている北の天満宮や、おかめ塚伝説の残る千本釈迦堂、ここには応仁の乱や幾多の戦火を免れた仏像(快慶作の重文)や本堂(国宝)を見学しました。夏の暑さを耐え忍んでの一日でした。

プロフィール

過去ログ