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奈良の二月堂にお水を送る神宮寺に行ってきました

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奈良の二月堂にお水を送る神宮寺に行ってきました。
今回は二回目でした、前回はアメリカのオバマ大統領が当選して小浜にスポットが当たっていたときでした。
若狭姫神社と神宮寺は歴史が深く和銅7年(西暦714)頃に建立されたものです。何と言っても凄いのは、1300年も前から神宮寺の神事で奈良の二月堂のお水取りに水を送っていることでした。若狭姫神社の境内には千年杉が見事でした、また昭和17年の相撲の番付表が飾ってあり珍しく拝見しました。
お水送りの神事については動画を入手しましたのでそちらをごらんください。

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お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。

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お墓まいりを兼ねて祇園祭を見学した。
真如堂(京都市左京区浄土寺真如町82)には親の墓があります。ここに斎藤利三の墓がありました。
福に関する墓があると噂を聞いて居たので、地元の人に訪ねて漸くたどり着いたのがこの写真(墓)でした。
名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で
斎藤利三は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて処刑された。

すぐ隣の金戒光明寺には、お江の供養塔がありました。
春日局(かすが の つぼね)つまりお福、は斎藤利三の娘である、
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、
小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる。福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。
江戸幕府3代将軍・徳川家光(幼少時名:竹千代)の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
出生地については光秀の居城のあった丹波亀山城(京都府亀岡市)や坂本城(滋賀県大津市)などの異説がある。
墓の説明文によると、お福(徳川家光の乳母)がお江(徳川家光の生母)の関係から、お江死後に供養塔を建立したとある。

←お江供養塔の説明図

七年ぶりの平城宮跡は静かでした

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七年ぶりの平城宮跡は静かでした
七年前に朱雀門と大極殿を見学したときは凄い人だかりでしたが、あれから七年も立つと見学者は数えるほどでひっそりとしていました。辺りは工事現場の建物があり、草がたくさん茂って居ました。
今回はボランテァの説明者も手持ち無沙汰で我々に懇切丁寧にガイドしてくれました。平城宮跡資料館にも足を伸ばしガイドの説明を受けましたので、当時の生活がよくわかりました、特に当時の役所に務めるサラリーマンの事が木管にかかれており今も昔も同じである事がわかりました。近くの総国分尼寺の法華寺にも足を伸ばしました。ここには国宝の十一面観音立像があります。

ノーベル賞の晩餐会で飲用された酒に巡り合いました

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ノーベル賞の晩餐会で飲用された酒に巡り合いました。
神戸市東灘区御影塚町の醸造元㈱「神戸酒心館」を訪問する機会があり、そこで初めて、ノーベル賞授与式の晩餐会で飲用された酒「福寿」を知りました。そこで試飲して一本購入してかえりました。年末も迫っているので正月に飲むことにしています。
http://www.shushinkan.co.jp

久しぶりに清水寺と鰐淵寺に行ってきました

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久しぶりに清水寺と鰐淵寺に行ってきました。

安来市にある清水寺は何回も行った事が有るのですが今回初めて三重の塔に昇らせてもらいました、平田市の鰐淵寺はちょっとした紅葉の名所なのですがチョット早かったようでした、弁慶が大山から梵鐘を担いで持って帰ったと言う伝説があるとの事、鰐淵寺には今回で参回目ですが、浮浪滝にも初めて参拝すると言う初めてが二つあり紅葉は残念でしたけど、有意義な事が有り良かった。

クァンタム・オブ・ザ・シーズを見にいってきました

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クァンタム・オブ・ザ・シーズを見にいってきました

昨年に引き続き境港に入港しましたのでその勇姿を見にいってきました、昨年はうわさは聞いていたのですが行動を起こすまでまでには至りませんでした。今年は意を決して見に行くことにしました。
総トン数 167,800トン 載貨重量 12,000トン 全長さ 348m航海速力 22.0ノット 旅客定員 4,180人
は正に驚きです、神戸に行けば度々見れるのでしょうが、東京タワーより長いなんて信じられません。
港に到着したのは、11:30ごろでした、まずは境港タワーのある岸壁から、そして昭和南1~2号岸壁に行ったのですが、車に免許証を忘れたため昭和南1~2号岸壁には入れませんでした。その後はべた踏み坂の撮影に行きましたがそこのコンビニには中国の観光客でいっぱいでした、また新聞によるとバスは100台以上が近辺の観光にかかわったとの事で鳥取以外の観光バスを沢山みかけました。

聖観世音立像(あいたた観音)昔は写真に撮れました

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聖観世音立像(あいたた観音)昔は写真に撮れました。

鶴林寺は今回も行ってみたら過去(13年前)に訪れていました。そして、通称「あいたた観音」と言われる仏像や釈迦三尊などもカメラOKでした。いつごろからカメラ撮影が禁止になったのでしょうか。残念としか言いようがありません。正門前からは三重の塔を写していましたので新旧の写真を載せておきます。高砂神社は建物に書かれていた画像だけは覚えていましたが印象は全く違っていました。
今回は、このお寺とは別に生石神社と教信寺と播州ぶどう園歴史の館も見学した。この地区(加古郡稲美町)では明治維新ごにブドウを栽培しワインを製造していたというから驚きであった。

日御碕灯台と思い違いをしていましたが実は

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日御碕灯台と思い違いをしていましたが実は。゜

現地(美保関灯台)に行くまでは、以前行った所と思っていたのですが、行ってみたら違っていました。日御碕灯台と勘違いしていました、まったく様子が違っていました。ですが、過去の講座で行ったことの有る画像を見直してビックリ、以前(H17.9.26)美保関灯台には訪れていました。10年の月日は残酷にも過去の記憶を消し去っていました。
青石畳通りの屋号の看板も写していました、新旧の画像をアップしました見比べてください。大根島への生き返りに渡る橋の「ベタ踏み坂」をもっと良い環境で写したかったのですが、大型バスでは駐車するスペースが無いとの事です通りでしたので窓越しでしか写せませんでした。

久しぶりに花回廊に行ってきました

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久しぶりに花回廊に行ってきました

何年ぶりでしょうか、花回廊に行ってきました。
天気は梅雨に入ったばかりなので、あまり芳しくない天気で、
写真をたくさん写したのですが折角の花の風景が暗くパーとしません。
ユリの花壇がありたくさんの花が植えられていましたがまだ咲いてはいませんでした、ドームの中では蘭(ラン)が美しく咲いていました。

52年も過ぎての同窓会を京都で

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52年も過ぎての同窓会を京都で。

高校を卒業して実に52年。隔年の同窓会ですが、よくも続いています。我々の同僚は高度経済成長の時代で、関東ゃ関西に就職したも者が多いためタマには、関西で実施しようとしうことで今回京都で合うことになった。折角京都まで出向くのであれば何かの催しと抱き合わせが良いということで、世話役幹事は、早くからホテルをキープしてくれていた。お陰様で、時代祭をベストボジションで見学ができてとても満足しました。同窓会はそこそこで、その他の観光もしました。梅小路のSL博物館、二条城、祇園など予定した観光は全てこなしました。時代祭の後半は少し小雨が降り出しましたが
行列は貫行されました。

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