フランソワ-ポール・ジュルヌ(François-Paul Journe)氏にとって、今回は絶対に譲れない一戦だった。今月ジュネーブで行われたフィリップスのオークションでは、ブレゲ パンデュール・サンパティーク No.1をめぐって数名の入札者が数百万スイスフランにも上る額を提示していた。だがその18Kイエローゴールド製のクロックと、それに付属する腕時計について、ジュルヌ氏ほど深く知る者はいなかっただろう。なにしろ、このタイムピースをおよそ35年前に設計・製作するようブレゲから委託されたのは、還暦を迎えたこのフランス人と、彼が率いるテクニーク・オルロジェール・アプリケ(THA)の仲間たちだったのだから。
1991年以来となる再登場を果たしたこの歴史的タイムピースを、ジュルヌ氏は何としても自分の元に取り戻したかった。彼は会場の最前列、左端に腰掛け、入札が10万スイスフラン刻みで上がるたびに、オークショニアのオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏に向かって静かにうなずき、ブレゲスーパーコピー代引き 激安さらなる上乗せを示したのである。
5分以上におよぶ攻防の末、残ったのはジュルヌ氏と電話越しの入札者のふたりだけだった。ジュルヌ氏が再び灰色の髪を揺らしながら提示価格を450万スイスフランに引き上げると、ついに電話の入札者があきらめ、これ以上の応札はしない意思を示した。ハンマーが振り下ろされると、ジュルヌが支払うことに同意した落札価格は手数料込みで550万5000スイスフラン(日本円で約9億5600万円)。今回のオークションにおける最高額落札作品となり、現代のサンパティーク クロックとしては史上最高額を打ち立てた。
幸いなことに、この時計が再び人々の目に触れる機会はまもなく訪れる予定だ。ジュルヌ氏は約1年後の開館を目指して、自身の名を冠したミュゼ F.P.ジュルヌをジュネーブに開設する計画を進めており、そこにブレゲ パンデュール・サンパティーク No.1も展示されることになる。この展示スペースでは、独立時計師として世界的に評価されるジュルヌ氏の軌跡と作品を称え、その功績を広く紹介する。彼の手がけたF.P.ジュルヌの時計は、ここ数年のオークションや二次市場においても価値を急騰させている。
これは私が設計したものであり、20世紀の時計史における重要な作品だ。
– フランソワ-ポール・ジュルヌ氏
「1983年から現在に至るまでの自身の仕事を、時計史とのつながりとともに視覚的に紹介し、16世紀、17世紀、18世紀のアンティークピースを通じてその関係性を示す場所にしたい」と、フランソワ-ポール・ジュルヌ氏は博物館の目的について語っている。
Photo courtesy of Phillips.
この博物館は、時計製造に着想を得た現代アートで彩られた空間に設けられる予定だという。場所は非公開ながら、F.P.ジュルヌのマニュファクチュールに近いジュネーブ市内に設置され、見学は完全予約制となる。
今回、巻き上げと分針のセッティングが可能なドッキング機構を備えた腕時計とのペアで構成されるクロックを、なぜそこまでして手に入れようとしたのかと問われると、ジュルヌ氏は「自分が設計したものであり、20世紀の時計史における重要な作品だからだ」と答えた。
もっとも、この時計の設計者を自認するジュルヌ氏の主張は、ブレゲ パンデュール・サンパティークがTHAに製作依頼された当時、テクニカル・ディレクターを務めていたドゥ・ベトゥーン現クリエイティブ責任者、ドニ・フラジョレ(Denis Flageollet)氏の最近の発言と食い違いを見せている。
「このクロックの機械構造およびすべてのメカニカルコンポーネントは、私が設計、製作したものです。キャビネットの金属部品の調整も、THAの時計師ピエール-アンドレ・グリム(Pierre-André Grimm)氏およびヴィアネイ・ハルター(Vianney Halter)氏とともに行いました」と、フラジョレ氏はオークション前にRevolution誌のインタビューで語っている。
なおジュルヌ氏はこのRevolutionの記事や、フラジョレ氏の見解に対してコメントしていない。
新設される博物館についても、展示内容の詳細は開館まで非公開とされており「サプライズにする予定だ」とジュルヌ氏は笑みを浮かべる。このため、運よく予約を確保できた来館者がどのような展示に出合えるのかについて、期待と憶測は高まるばかりだ。
近年のジュルヌ氏は、ジュネーブで開催されるオークションにも積極的に姿を見せ、自身の過去の作品を多数買い戻している。その一例が今回サンパティーク No.1を手に入れたのと同じフィリップスのオークションで、13万9700スイスフラン(日本円で約2400万円)で落札したクロノメーター・スヴラン “ドバイ・ブティック” 限定のグリーンダイヤルモデルである。「博物館のためだけに多くの時計を買い戻しているわけではありません。コレクションはすでに充実しています。機会さえあれば、“パトリモワンヌ(遺産・歴史)”のために購入しています。それは博物館の収蔵とは別の目的なのです」とジュルヌ氏は語る。
Photo courtesy of F.P.Journe
ジュルヌ氏のコレクターとしての足跡について、わかっていることがいくつかある。彼は希少で、そしてときに複雑な構造を持つステンレス製の懐中時計を情熱的に収集しており、そのコレクションは、ジャン=クロード・サブリエ(Jean-Claude Sabrier)とジョルジュ・リゴ(Georges Rigot)によってまとめられた312ページにわたる書籍にも記録されている。
Photo courtesy of F.P.Journe
また関係者によれば、ジュルヌ氏はブレゲの作品を含む多くの時計やクロックを私的に所有している。そうしたピースは、彼自身の創作活動を歴史的な視点から紹介するうえで、展示の中心となる可能性が高い。
彼のコレクションのなかでも特に重要とされるのが、1780年にフランスの時計師アンティード・ジャンヴィエ(Antide Janvier)によって製作された、共振式レギュレータークロックである。ジュルヌ氏はこの掛け時計を、自身のクロノメーター・レゾナンスと、創作の原点となった18世紀の時計製造とを結びつける存在だと位置づけている。
もっとも、この貴重なクロックは現在、ブランド本社の会議室にひっそりと置かれている。新設される博物館にこそ、ふさわしい作品といえるだろう。一方で、建物のエントランスに設置されているC.L.デトゥーシュ(C.L. Detouche)の天文時計や、同じ場所にあるジャン=クロード・サブリエの蔵書ライブラリーなどは、現状の設えから移動を想像しにくい。
1983年から現在に至るまでの自身の仕事について歴史との関係性を視覚的に示し、16〜18世紀のアンティーク作品をとおしてそれを表現したいのです。
– フランソワ-ポール・ジュルヌ氏
彼自身の作品についても、それらを歴史的文脈のなかに配置してキュレーションすることで、ジュルヌ氏が“自らの仕事の本質”をどのように捉えているかを示す場となるだろう。たとえば、トゥールビヨン・スヴランやクロノメーター・レゾナンスといったモデルには、顧客や販売店、記念周年などの要望に応じて、ムーブメント、ダイヤル、ケースに多彩なバリエーションが存在する。そのため展示は、あらゆる個体を網羅する“完全主義的”なものではなく、むしろ深く考え抜かれた構成になる可能性がある。