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鳥取県の観光穴場
1,荒木又衛門の墓と記念館

最近NHKの大河ドラマの影響もあって、宮本武蔵にちなみ、岡山から鳥取の国道53号線沿いの剣豪に縁があった土地を尋ねて歩く観光が静かなブームとなっている。鳥取市新品治町の玄忠寺に日本三大あだ討ちで知られる、荒木又衛門の墓と彼の遺品を展示した記念館がある。
もともと伊賀の人だったが、あだ討ちの助っ人になり鳥取藩でこの世を去っ剣豪である。鍵谷の辻で36人切をしたと言われるが、真の程はわからない。小さな寺だが 観光バスを連ねてかなり遠くからも観光に来ている。寺には高木啓太郎の一筆書きによる羅漢の襖絵もあり、案内人が丁寧に紹介してくれる。
若桜橋の近くに荒木又衛門が住んでいたと言うことで、彼を偲んで荒木神社が黒住教の中にひっそりと祀ってある。
豆知識・・・荒木又衛門 の事とか、何故鳥取藩に来たかなど、詳しく書いてあります。
この寺のすぐ近くの景福寺にも後藤又兵衛なる武将の墓があるが、あまり知られていない(最後のひとつ手前)。景福寺は鳥取藩、家老 荒尾家(最後の写真は荒尾家累代の墓)の菩提寺である。


2,小野小町の墓

西伯郡岸本町に平安時代に天才女流歌人で絶世の美女と言われた、小野小町の墓がある。地元では御前さんと言って供養しつづけている。五輪塔や居住した跡が残っており、会見町の雲光寺に位牌が祭つて有るが、全国至る所にこうした、史跡は残っており、真偽の程は分からない。


3,岡益の石塔

国府町岡益の小高い丘には、岡益の石堂と言われる、中央が丸みを帯びて膨らんだエンタシス様式の石塔で忍冬唐草文(バルメット)と言う文様が浮き彫りになっている墓石らしき謎の構造物がある。これは宮内庁が安徳天皇御陵参考地(全国に4個所ある)として管理している。いわゆる壇ノ浦で二位の尼に抱かれて入水して滅びたと言われる安徳天皇その人を祭っていると言うのである。これは安徳天皇が難を逃れて鳥取のこの地に来たと言うことの証である。しかし、この建造物は平家が滅亡した時代よりは古いとの事で謎は深まる。
この近くの長通寺には明治の日本画家(八百谷冷泉)が書いた襖絵(大波涛は20枚に及ぶの日本海を書いている)があり一見の余地がある。そして魚の壁画で有名になった、梶山古墳もすぐ近くにある。

豆知識・・■八百谷冷泉について
梶山古墳について国府町の観光ホームページを見てください。

4,不動院岩屋堂


若桜町の岩屋堂(国道29号線を姫路に向かって右折して少し進んだ所)に室町初期に建立されたと思われる祠がある。三朝町の三仏寺の国宝には及ばないが、重要文化財(昭和28年指定)である。修験道の盛んな時期、密教系の一院として建てられたで有ろうと現地の説明看板に書かれている。祠の下には小さな建物があり、これも岩の中に少し入っている。近くに、沢山の五輪さん?があるが、建物と関係があるかどうか私には分からなかった。

5,白兎神社の菊座石


鳥取市白兎海岸に白兎神社がある。ここには古事記や日本書紀にも出てくる有名なお話の「大黒さまと白兎」の伝説がある、昔、大国主命(大黒さま)が因幡の地を訪れたときワニに皮を剥かれて困っていた兎に不増不滅の池で身を洗いガマの穂綿に身を包んだら治ると教えてもらって助かった、因幡の白兎の伝説になった神社である。この社殿の土台石6箇所には28弁の菊の紋章が刻んである。これは皇室に何らかの関係がある証である。ここのすぐ近くには、ハマナスが南限地として、自生している。初夏に赤い可憐な花をさかせる。

6,樗谿(おおちだに)神社の三十六歌仙図扁額
鳥取藩 初代藩主・池田光仲が創建した長寿院(現在の樗谿神社)は、因幡東照宮として家康を祀って居ます。それは光仲が家康のひ孫である為です。この神社には狩野探幽筆による36歌仙の扁額がすべて現存しています。これは全国的に見てもとても貴重な存在です。 写真は現在の樗谿神社(徳川家の葵の紋がある扉)のたたずまいと探幽の井戸、そして、36歌仙の扁額の一部、と「松に白鷹・梅に白鷹図」です。


7,大伴屋持の歌碑


鳥取市国府町には万葉のふるさとがある。ここにはその当時国庁があったところで大伴屋持が759年の元旦の行事で読んだ「あらたしき年の初めの初春のけふ降る雪のいやしけ吉事」の歌碑があります。

以下現在工事中
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