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年末の16日17日に孫の親に招待され三朝の橋津屋で骨休めをしました

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年末の16日17日に孫の親に招待され三朝の橋津屋で骨休めをしました。
https://www.hashizuya.co.jp/橋津屋
今年は5月末にアクシデントが在り腰を痛めてしまいました、今は随分と良くなりましたがその為かどうかは分かりませんが持病の糖尿病が悪くなってしまいました。そして、体力も以前とは格段に落ちてしまいました。そんな時に孫の親御さんが三朝の橋津屋に招待してくれました、貧乏性の私は時間つぶしのためにPCを持参して時間をつぶしました。17日は寒い中、三朝の町を散策しました、倉吉の福庭にいたころには何度か万翆楼に忘年会で宿泊したことは有るモノの町の散策はした事が無かったので珍しかった、でも昼はあまり芳しくなかった。
三朝の博物館に行ってみましたがよりも寄って16、17日が休館となっていました。ここはその当時バイオリンの工房があったのですが残念でした。10年近く前に一度見学はしていました。

続き
孫は縁あって豊田市に昨年嫁ぎ、今年の7月にはひ孫が、いえその子供ですから曾孫(ひこ)と言うらしいが誕生して半年にも関わらずに鳥取まで、孫の嫁ぎ先の親と共一緒に来てくれました。ゆっくり時間を取るために15日にきて、鳥取のホテルに泊まり、そして三朝に向ってくれました。
私たち家族4名は別の車で三朝に行きました。橋津屋はかなりの老舗で静かな趣のお宿でした。(三朝自体が静かなのですが)貧乏性の私はPC持参で時間をつぶしました。曾孫(ひこ)の顔は日に日に成長して大人びた顔になるように思いました、親バカ、いえひい爺さんバカでしょうか。
連れ合いや子供たちは、曾孫(ひこ)に付き合っていました。2日間、別邸の特別室月代で過ごし本館での豪華食卓(私は血糖値の上昇を気にしながら)と温泉は自室、離れの雨情と本館の岩の音を満喫して極楽は過ぎて命の選択ができました。今年は良い事あり悪いことありの一年でした。わざわざ鳥取まで来てくれた曾孫(ひこ)のお爺さんに感謝です。たくさんの散財をありがとう。合掌。
橋津屋