とっておきのプライベートルーム-[0]
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パソコン遍歴あれこれ

私がパソコンに興味を抱いたのは「トランジスタ技術」を読み始めた20歳代の後半でした。
(蛇足::トランジスターが身近になったのは小学5年生の頃だったと思う、当時真空管式(A、Bの二つの乾電池が必要)のポータブルラジオが トランジスタに取って代わり超小型で軽く電池が一つの「テン」?(現在のSONY)ラジオでした。 この時に初めてトランジスターなるものを意識して小学6年生の頃に「初歩のラジオ」の製作記事をコピーで1石Trラジオを製作した)
その頃はまだ卓上電子計算機が初期の時代で、ロジックにたよる初歩的な計算機でした。それでも画期的な発明でした、ハードと現在でいうことのソフトをすべてロジックで作っていました。 その当時職場には機械式の手回し計算機が職場にあった時代でした。 種々の計算、特に関数計算などが出来るようになったのは、ロジックは同じで計算式は別の記憶装置に入れておいてそのプログラムにしたがって計算する方式になった時でした。 その考えでロジックの開発を手がけたのは 「嶋正利」『ウィキペディア』 さんでした。インテルと共同開発して世界初のマイクロプロセッサー「4004」(4bit)の誕生 : 注1「8ミリ角のコンピューター」、そしてマイコンの誕生の元となる、「8080」・「Z80」(8bit)が開発された。

注1 =【電子立国日本の自叙伝】第5回/NHK (再生時間 1:09)
参考 1【電子立国日本の自叙伝】第6回/NHK (再生時間 1:36)
参考 2【電子立国日本の自叙伝】第4回/NHK (再生時間 1:29)


NECのTK-80について

「カシオ」や「シャープ」などの電卓業界は競って高度な電卓を開発していった、そんな時に初歩のマイコンが開発され始めた。電気各社が発表したマイコンには 素人でもコンピュータと付き合えるコンピュータ言語「BASC」が搭載されていた。(ホートランやコボルは素人向きではなかった) マイコンが色々発売される中で「NEC」は素人がマシン語レベルで遊(勉強?)べる 8BitCPU(8080互換機)を搭載したCPU基盤 [TK-80] を(1976年8月3日)に発売した。


クリックでウィキペディアへ
TK-80マニュアル

クリックで拡大表示
その当時の私には高値の花でとても手が出る代物ではなかった。暫くして「トランジスタ技術」誌に格安のキット販売の宣伝が乗りそれに飛びつき購入を決意。 格安のキット(海賊版でした)は なかなか配達されずにたびたびの催促でやっと我が家に届いた、さっそく訳も分からずに弄り回したが全然動かないので、 会社の先輩が会社に出入りしているNECの出先機関に紹介してくれました。出先機関曰くCPUのメモリーに最低限動作させるプログラムがインストール されていないとのことで、ROMにプログラムを焼き付けてもらいました、これで8セグエレメントが表示することになり、正常に動作しました。 当時メモリーに書き込んだマシン語は記憶が出来ないため、電源を入れたままにするか、カセットテープに「ジッツージーじー」と言う音声を録音することで記録が出来るようになっていました。 それからは、「トランジスタ技術」誌に掲載された、16進のマシン語を入れて楽しむ(地獄 ?)が始まりました。 地獄 ?と表現したのには訳があって16進のプログラムを打ち込むのに相当な根気と気が遠くなるようなメモリーチェックが必要だったのでした。 その後16進のプログラムにはチェックサムが付く様になりメモリー入力が割と楽になった。

TK-80の「BASC」化について

暫くしてNECはマイコン用の高級言語の「BASC」を乗せた TK-80 用の拡張ボードを販売、表示部はアナログ TV の2Chで見れるようになり、 幼稚ながらも「BASC」インタープリター(マシン語とニーモニック言語を翻訳しながらプログラムを実行)によるパソコン操作が出来るようになりました、 またも安月給の懐を痛める羽目となりました。このころ喫茶店で流行っていた「インベーダーもどき」を楽しんだ。  

PC-6001 コンピュータについて

TK-80 をいじくっているころ世間では PC-8001 といった本格的ななコンピューターが発売されたが私には手の届く価格ではなかったのでしばらく静観していた。 そして間もなく格安な家庭用のゲーム機 PC-6001 が発売された、子供向けをだしにして買う決心をした。ゲームは自動車に搭載されていた8トラック音楽カートリッジのような形の カートリツジで提供されていた、(巷では任天堂のゲーム機が流行っていた) ソフトはかなり取りそろえたように思う。周辺機器のCRT、プリンターやHDDには手が届かなかった、 会社の同僚たちがその時の花形の PC-8001 を購入しだしたが暫くは我慢した。  PC-6001スペック←

PC-8001 コンピュータについて

その当時の花形の PC-8001コンピュータ(1979年5月9日発売)はいつ頃購入したかどうかははっきり覚えていません。下の画像の左にはPC-8001専用のカセットレコーダーです、 当時の純正 5インチのフロッピーディスクは高くて、互換機のロジテック製を購入してしばらくは使いまわしていたように思う。 夏になり周囲の温度が高くなり長時間使用していると、PC動作が不安定になり電源ストップを余儀なくされた。

←PC-8001シリーズ

EPSON PC-286L コンピュータについて

NECがPC-9801を発売(これより前に PC-8801が先行発売されていた)したころ、EPSONがNEC互換機を発売し始めた。そして9801の互換機で携帯可能な形の PC-286L(1987年11月5日)を発売した、NTN型LCD(白液晶) [640x400ドット] 348000円 この価格今でいえば相当なハイスペックなPCが買える。3.5インチ2台のフロッピーを装備していた。 この時に困ったのは、フロッピーディスクのサイズと形の違いでNECのデータがコピー出来なかった(周囲には5インチと3.5インチフロツピーの両方持っている人はいなかった)。
このPCは白黒バージョンだった。その後 NECのPC-9801mを購入フロッピーは5インチで購入後すぐに2.5インチとなり苦い思いをした。 その後仕事の関係でPCからは遠ざかっていった、このPCは最近まで押し入れにあったが、ほかのオーディオ製品と一緒に処分した。(この辺りまでは BASCが搭載されていた)


VAIO PVC-L520 コンピュータと富士通のFMV-E3200について

PCから遠ざかっていたがその後のPCの発展は目覚ましいものがあり、ノートPCが手ごろな値段で購入できる時代となっていた。 VAIO PVC-L520を入手した、(いつの間にかSONYブランドはVAIOとなっていた)OSはDOS からWindowsXPの時代、 VAIOノートにはUSBで接続するフロッピーディスクが別売りで存在していた。(フロッピーディスクの終焉だった) そのころ「自鯖」と言う自分の PC からHPをサービスする事を知る。
テスト的にPVC-L520でサーバーとしてADSL回線で運用したが、ノートPCで24時間365日運用するには無理があった。そこで富士通のFMV-E3200(工業用・マニア向け)を 入手して本格的にサーバーを運用し始めた、さすがにマニアや工業用だけあって永く(9年間)運用ができた。(2014/8/21サーバーダウン廃棄処分)
参考リンク→ホームページ作成の苦労話あれこれ

←スペック

SOTEC PV7220C コンピュータを、いじり倒す

SOTEC PV7220C はデイスクトップ型で、いわゆる自作機のようにケースにゆとりがあって裏フタを外すと中身が見えて、弄り回すには都合の良いPCであった。 OSはまだXPでした、このPCでメモリー増設やHDD(本体は5インチ)の増設(2.5インチ)、アナログTV基盤の追加などをしても コンピュータが静電気に注意すれば割とラフなのを知った。(このマシンはまだ捨てずに手元にある) SOTECス PV7220Cスペック←



Unit.com PCについて

次のサーバー機としてUnit.com(ディスクトップ 型番不明 OSはWin 7)を購入(パソコン工房)して Apache24とPerlをインストールして立ち上げょうとしたが何処に不具合が あるのか正常に動くまで可なりの時間がかかった、富士通のFMV-E3200がダウンしたときはしばらくSONYのPC(型名?)で運用していたが XP サポート停止中も 稼働させたためウイルスに乗っ取られハードも壊れあえなく廃棄処分した(このことでブロバイダーをかわらざるを得なかった)、なんとかてUnit.com PCが動けるようになっていたのでピンチヒッターで稼働させた。 このサーバー機の OS は Win 7 でサポートの終了を迎えていた、なんとかWin 10に更新するも、エラーが出て OS が Win 7 に戻ってしまうことが数ヶ月続いた。 でも、マイクロソフトがエラー対策をしてくれてWin 10に更新できたのかは分からないが、とにかくWin 10化に成功して現在にいたる。
(現在サーバー機で稼働中)←(クリックで記録を見る)最近メモリー確認とメンテのために分解しました。



その後の PC 遍歴について

OS の変遷が 95(95) 98(98) ME(00) XP(01) Vista(06) Win 7(09) Win 8(12) Win 10(15) と進化したのは若い方もご存じだと思います、私の PC 遍歴はその後に購入した PC を記載してこのページを終了します。
(最下段にマイクロソフトの Windous の変遷を参考として記載しています)
                            
VAIO ME(505)当時20万円で購入(手元にありますが劣化がすごくて動きません)
←(クリックでスペック)
型番不明です、メーカー名はFujitsuのみ分かっています
当時のブログ記事(1)
当時のブログ記事(2)
玄人志向 PC
言語はLinax でNASができるような箱だった。
 サーバーに改造をと考えていたが Linaxのため断念
玄人志向 HPへ←マニア向けのPC関連パーツを販売
EPSON Endeavor NP11 超小型PC
(今も手元にあります OSはXPです、いつかオフラインで何かを動かしてみたいです)
                                  Endeavor NP11-V」の魅力に迫る←                                      筆者のPCはNP-11ですが-Vは改良版 ?、HPがなくなりそうなのでPDFで資料提供
Endeavor NP11の修理←参考資料(PDF) 
NEC (LE150/M)(Win 8→Win 10 メモリー8Gbitへ)現在使用中
現在このHPを編集中(R3-3-11)
やせ馬に過大に拡張された Win10-OSで動きが極端に遅いですいつ故障してもおかしくない状態です、私には XP で十分。
LaVie LE150←スペック(PDF)
ASUS X551M (Win 8→Win 10 : Hdd→ssd/500Gbit:R3-3-3 )現在使用中
NEC (LE150)でSDカードが読めないときに使用
ASUS X551M←スペック(PDF)(スペックではメモリーが 2Gbitですが実際は 4Gbitでした)
IIYAMA (W940TU) (Win 8→Win 10)現在使用中 
スペック
intel celelon N2830 @2.26GHz
Hdd 500Gb RAM 4GB 
NAT-TU (NK) (Win 10)現在(Spotify 配信の音楽ダウンロード)専用に使用中 
スペック
intel Celeron N3450 @1.1GHz
SSD 256Gb RAM 8GB 
Windousの変遷←参考資料-1
コンピュータの黎明期←参考資料-2
この他に 2台 SONY 製 PC を購入していたが、他人に譲ったので今となっては詳細不明です。(R03-3-12)
  

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