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ワンポイント
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ライダーの聖地、隼駅。
・鳥取から若桜に連絡する第三セクターの若桜線の途中に無人の隼駅があります。ここは単車の隼にちなんで、ライダーが集合するライダーの聖地なのです。
隼 隼 隼 隼
隼 隼 隼
広報誌に掲載された 「バイク隼&隼駅でつながる人の輪」←ここクリック

坂谷神社(巨石で覆われた祠)。遺跡とクリハラン等の植物が自生。
・神社は鳥取市の福部駅の裏側にひっそりとした小山の中にあります、その巨石洞穴の石壁には線刻があり何か意味がある物と推察される。周辺はシイ、スダジイ、シラカシ、タブノキが生茂る。そしてこのふもと周辺では縄文時代の遺跡が出土するといわれる。
看板 祠 鴛鴦 入口 地図この5枚の画像はクリックすると拡大画像になります。
離水海食洞。
・鳥取市の丸山町と浜坂町の境界あたりに、小さな山があります。この山には離水海食洞と呼ばれる洞窟がある。ここは昔海であって波により出来た洞窟ですが時代とともに、陸地となり今では道路沿いになったものです。秀吉が鳥取城を兵糧攻めにした時、ここから雁金砦を経由して、食糧を運搬したと伝えられる看板があります。
離水海食洞 看板 史跡 入口 地図この5枚の画像はクリックすると拡大画像になります。
浜坂弁天社。
・離水海食洞から少し西に行くと小さな弁天さんがあります。ここは昔、重箱と言われた所で袋川と千代川が合流して中州となった場所で鳥取の藩主池田公の船遊びの場所で有ったと伝えられています。弁天さんは地元の人たちが守り続けています。近くに犬塚もあって歴史が感じられます。近年では市民の憩いの場所として整備されています。
弁天社 祠 看板 犬塚この4枚の画像はクリックすると拡大画像になります。
オシドリの観察小屋。
鴛鴦鴛鴦鴛鴦
・日野郡日野町根雨のJR 鉄橋したにオシドリの観察小屋がある。オシドリは11月から翌年の3月ごろまでここで越冬をする。日中はどこかへ遊びに出かけているので、あまり見かけないので朝と夕方が観察 時である。現地には数台の駐車スペースが近くにある。近くに金持神社があるので、おまいりすると神社の名前のようにご利益があるかも ! 。 オシドリホームページを覗いて見てください。

諏訪神社のお祭り。
諏訪神社諏訪神社奥殿御柱
・智頭町の石谷家住宅の近くに諏訪神社が有るが、名前の通り、ここで規模は小さいが長野県の諏訪神社の御柱神事に似たお祭りが、6年毎に執り行われる。町内から若者が集まり、4本の大杉を奉納する祭りでH16年がその祭りの周期にあたり4月18日(日曜日)に盛大に開かれました。

浪しぶき参度傘
浪しぶき浪しぶき資料館
・赤崎の菊港にイースター島の巨石像を連想させる。日本の江戸時代の旅姿を簡潔に表現した巨石像が三体ある。はるか海の彼方に目を配り、遠い未来を見据える姿は、一服の清涼剤であり日ごろの雑事を忘れさせてくれる。国道9号線の赤崎の道の駅から海岸におりて、西に少し行った所にある。道の駅には、その昔、韓国の人が漂流して流れ着いたところ、地元の人たちが手厚く介抱して差し上げたと言うことで韓国との交流が出来て日韓友好公園が整備され色々な、記念資料が沢山飾ってある。

又助カキツバタ
又助カキツバタカキツバタ紫色カキツバタ黄色カキツバタ
・平成15年に岩美町浦富の個人所有であった、沼と湿地帯がカキツバタが群生していることで珍しく、町に寄付され、一躍観光スポットとなった。カキツバタの群生は唐川が良く知られていますが、平地での群生は珍しい。唐川のカキツバタはだんだん荒らされて、規模を縮小しているように思う時だけに貴重な存在である。

水鳥公園
観察小屋内部小屋遠望白鳥たちヘラツルサギ白鳥たち
・米子市彦名にある、渡り鳥たちの楽園、毎年白鳥が飛来してくる。一度コウノトリが飛来してきたことも有り、野鳥保護の人たちを喜ばせた。ヘラツルサギも珍しい鳥である。現地の様子はインターネットで中継されている。URLは 水鳥ライブである。

有楽椿
有楽椿塔椿
・樹齢400年以上と言う茶花が、郡家町の大樹寺にあり、年末から3月頃にピンクの花を咲かせる。関東では「太郎冠者」と言われ京都の塔頭月真院のそれをしのぐと言われる巨木である。お寺には珍しい塔もある。

住雲寺の藤
藤の花 ・名和町の国道9号線を南に少し入ったところの住雲寺には、花丈が1m にも及ぶ藤の花が毎年、桜が散った頃にその姿と甘い香りを漂わせる。花の下では茶会も開かれる。花の丈ではこの近辺ではあまりお目にかかれない長さでしょうか。この寺を東に少し行くと名和神社があり、桜の名所である。






後醍醐天皇の御腰掛石
着座石 ・後醍醐天皇が隠岐の島から脱出されて、本土に着いたのが御来屋の港であった。ここで一息ついて、お休みになられたのがこの石である。元弘3年(1333年)初春のことでした。

以下工事中
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