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  3. 鳥取の剣豪
因幡伯耆32万石は"武道"が重んじられ諸国から剣の名士たちを招き様々な流派が生まれた、そうした 鳥取城下町の剣豪たちが眠っている史跡を巡ってみましょう。

1.荒木又衛門
・何といっても有名なのは、三代仇討で知られる剣豪です。次に出てくる、渡辺数馬の義兄で伊賀上野の鍵谷の辻で仇討を成就 させた後、鳥取藩にお国替えとなったのち15日で死亡した。(1599〜1638)玄忠寺
2.渡辺数馬
・数馬は、もともと岡山藩士であったが弟の仇で河合又五朗を荒木又衛門の助太刀で仇を打ちをしたが天下を二分する騒ぎだった事から有名となった。(1608〜1642)興禅寺
3.臼井本覚
・鳥取藩きっての剣豪で怪力の持ち主。武道の指南役で有りなから一千石の禄高は剣豪ぶりを物語っている。(?〜1653)興禅寺
4.深尾角馬
・せいあ流平法をおみだし鳥取藩の流派として残るほどの剣術の祖だった。(1631〜1682)本淨寺
5.後藤又兵衛
・槍の使い手大隈城の領主だったが、豊臣秀頼に軍師として迎えられた、徳川家康からも誘いがあった程の名将(1560〜1615)景福寺
6.羽生郷右衛門
・池田光仲に特技をきかれ、武士が武芸を心得るのは当たり前と米粒で糊を作ってみせ光仲を感銘させた。(?〜1680)景福寺
7,山中鹿之助
・「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」この言葉で知られる剣の名手。亀井茲矩の妻が鹿之助の養女(1545〜1578)幸盛寺
8,猪多伊折佐
・新陰疋田流刀槍二術を極めた達人 (?〜1633)興禅寺

1.荒木又衛門荒木神社 2.渡辺数馬 3.臼井本覚 4.深尾角馬
5.後藤又兵衛 6.羽生郷右衛門 7,山中鹿之助 8,猪多伊折佐

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なお、バーチャル観光県内編の第18版も合わせご覧ください。
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