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ホームページ作成の苦労話あれこれ

ホームページ製作を思い付いたのは、5〜6年前でした。(追記-H13〜14年頃のこと)
プロフィールにも書いていますがウインドーズは浦島太郎の状態でしたから、ホームページの事は ただ漠然としか頭にありませんでした。
時間は有るが、金がないので何とか自分の力で仕上げる事が第一条件でした。
そんな状況で数年が過ぎ、最近になって、技術評論社の本が見つかり、これなら何とか出来そうと思い立ちました。ソースを見てもらえば分かりますが、以前アマ無線の経験からページは全てカットアンドトライで作り上げました,
しかし本が紹介しているソースが元ですから応用部分はもう滅茶苦茶です。HTMLの理屈は今だによく分かっていません。

私のホームページ作成のアイテムたち

下記のアイテムたちがホームページ作成の助っ人です。

1. コンピューターは、SONYのディスクトップ PCV-L520
2. もう一台はSONYのノートタイプの PCG-Z505C/BP
3. デジカメ初代 SONYの DSC-70
4. デジカメ2代目 SONYの DSC-F717 3台目DSC-W7
5. 素材の蓄積場所 M Oは富士通 HMO-640USB
6. スキャナーは キャノン N676U
7.ホームページのバイブル技術評論社の [ホームページをお手軽に作って10倍楽しむ本]
8.もう一つのバイブルは、同じく技術評論社の、 HTMLポケットリファレンス[改定第4版]
PCV-L520 PCG-Z505C Dezikame1 Dezikame-2 Mo スキャナー

私のホームページ作成経緯と素材収集について

写真は銀鉛フイルム写真時代から、目的も無く、ただ数打てば当たる式で撮っていました。 36枚撮りフイルム
でその中に気に入ったのが1枚あればよいくらいの出来でしたから、写真屋に現像を出す のが恥ずかしい思
いをしていました。5〜6年前デジカメが世に出始め、これはコンピューターを始めねばと 思わせる黒舟襲来の
出来事でした。
その時の私はウインドゥズが浦島太郎状態でしたから、デジカメと付 き合うにはどうしてもウインドゥズを
こなせる必要があり55才過ぎての手習いとなりました。デジカメはフイルムには無い便利な面がありますが、
電池の消耗が激しく色々と苦労しました。特に海外への旅行には困りました。充電器、電圧、電源ソケットの
形状等。そんな状態でしたが、だんだんフイルム離れとなり、今ではデジカメを何時も持ち歩いています。
素材の写真収集には某旅行社のツァーが手っ取り早く重宝しています。そんなわけでデジカメに取り付かれ
下手な写真ですが、だんだんとつもり積もった写真を皆様に見てもらう機会をホームページに求めました。

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私の音楽遍歴について

音楽に興味がわいたのは中学生のときで、その時は歌謡曲でしたが、外国映画を見てからポピュラーへ
と変身してしまいました。その頃洋楽(ポピュラー音楽)を聞く事はソースが地方ではなかなか無いので、関西
地区のラジオ放送を夜になってフェージングに包まれた音を楽しんでいました。AM波によるステレオが朝日放
送毎日放送で始まった頃だったと思います。その頃世間はまだ真空管式ラジオでようやくトランジスターの
ポケットラジオが出始めていた?。外国映画でも邦画でも、喫茶店内のシーンには必ずクラシックの名曲の良い
とこ取りが流れていたので、クラシックも良いものだと思うようになりました。NHKの放送で流れていたメロデー
で分からない曲をNHKに問い合わせたりしたこともありだんだんとクラシックの奥にはまっていきました。
アルバイトで買ったクリスタル式のレコードプレーヤーにレコード始めて載せたのはアラモだったと記憶している。
金のない生活を強いられていましたから、ステレオは自作(アンプもスピーカーBOXも)でした。
それらはいまどこに行ったやら !。
当時一番たくさんレコードを聞いたのはコニーフランシスとカテリーナバレンテのアルバムで、バケィションが
大流行していた時で、女性ボーカルにはまり込むきっかけだった。歌う通訳と言われたカテリーナバレンテは数か、
国語の歌をうたって私を魅了しました。
ぜんぜん分からないけどスペイン語で語りかけられるとわれを忘れ夢の中に入り込むことができました。
その他 私に語りかけた歌手は、ブレンダ・リー、シルビーバルタン、ドレスデイ等 等。
当時はフルオーケストラー全盛であり色々なオーケストラーが音楽を聞かせていた。以下次回に乗せます。
下の絵は当時私が愛したアルバムの一部です。


コニーフランシス カテリーナバレンテ プラターズ 恋は水色 四季 白鳥の湖

アマチュア無線のことなど

当時ゲルマニュウムラジオ、トランジスター1石ラジオ、等小学生から中学生になった頃作っては壊し、また作ると言った生活が続いていました。
そしてBCLの世界へ、ラジオの製作といった本を見ていた関係でアマチュア無線のことを知る事となり、興味をそそられました。高校の悪がきが早くもアマチュア 無線をやっていたけれど、私にはサポートする資金が無いのでただ指を咥えているしかなかった。
そうこうしている内社会人になったがしばらくはアマ無線はどこかに行ってしまっていた。社会人10年目ぐらいにアマチュア無線との強烈な出会いがあり、そこで初めて本気になり、無線局長となった。
スタートは安いポータブル機で始めた。当時はまだシンセサイザーによるオールチャンネルではなく、たった12Ch の2メーターFMでのスタートだった。それでも夢は大空に羽ばたき、未知の人との交信に明け暮れた。


FT-75 Liner2DX Uniden2010 C-58 FVA-905 TK-80

この愛すペき無線機は、人でに渡った為手元には無い。当時の無線機でまだ手元にあるのは4 機種で左からYAESU無線のFT-75、 BelcomのLiner2DX、Unidenの2010、 YAESU無線のC-58当時免許が不要との事ではやったパーソナル無線機、 携帯電話に押されてほとんど見かけない。
次は私がコンピューターにのめり込んだ、1号機のTK-80、 これはNECの海賊版でIC-ROMにはプログラムか書かれていなかった物である。

上が本体で下はベーシックに発展したときのキーボード
当時通販でしか手にいれにくい環境であったから代金先払いで注文したのだが、メーカーは品不足を理由になかなか発送してくれなかった。が、やっと手にして組み立てても、まったく動かない代物にお手上げだった。
これには大変悪戦苦闘した、コンピューターのことなどまだチンプンカンプンであったから(30年も前の事である)このトレーニングキットを動かす基本的なプログラムがICに焼きこんで無かったから動くはずは無いのは道理である。
そんな時、良き無線の先輩がいて、ただでNECにプロクグラムを焼いてもらった。
動いたときの感動はいまだ鮮明に残っている。暫くはコンピューター本のマシン語をインプットしゲームに明け暮れる日々が続いた。
インベーダーゲームもどきもあって結構楽しめた。その後、NECベーシック(N BASIC)へと発展して行くことになる。
そしてアマ無線から年とともに情熱が遠のいていった。(By-JH4AGB)

私のオーディオ遍歴について

最初の写真は真空管式のアンプである。
B300と言って真空管でも最もシンプルな3極管の真空管でプッシュプル接続でパワーを 稼いでいます。 5極管と比べパワーは無いがシンプルさで本当に素直で爽やかな音がする。当時真空管からトランジスターへと移行するとき、トランジスターアンプはクリヤーだがとにかく音が硬いと言われていて長時間聴くと疲れたものでした。
真空管式のアンプやプリアンプ、FMチューナーなど色々作ったが、手元にあるのは唯一これだけである。
これはおおよそ10年前にキットで売り出していたものを作ったものです。やっぱり音は柔らかく、そして透明感がある。良き時代の昔がほのぼのと思い出される。今でも真空管式アンプにこだわる人はたくさんいる。
さて、本来のオーディオ遍歴だが、ここに改まって書くほどにのめり込んだ訳ではない。以前にも書いたが、常に金欠病に取り付かれていた関係で出来たことはタカがしれた事なので御恥ずかしい次第です。
 機械いじりが好きだった事が良かったか悪かった、とにかく自分で作る事が面白く、何でもかんでも 一度分解しないと気が済まない性質で、当時の真空管式ラジオをばらしては組み立てたものだった 。
当時流行し出したステレオがどうしても欲しかったが、金欠病のため、安い5球スーパーラジオを2台並べて聴いていた、それも型違い、音響特性も位相もあったものではない。
位相を合わせようにも手の出しようがない。それでも一応ステレオということで御満悦だった。安いクリスタルプレーヤーをつないでいでのステレオだから、電気に感電する事しきり。当時のラジオはトランスレスだったから、2台のラジオを同時触ることは感電することにつながった。今は懐かしい。


VB-300B SONY-4Ch TC-350 Tape satuki
何とか金をためて6BQ5シングルだったように思うが、初めてのステレオアンプをようやく組み立てて聞いた、が、スピーカーは5球スーパーラジオの物で代用 していたから、人様のステレオとは違い貧弱な音だった。時代はドンシャリのHiFi(高忠実度再生) 時代。パワーによる低音とシャリと響く高音への伸びが 競われていた。 ナショナルの20センチのスピーカーをようやく手に入れたが、箱は自作、このスピーカーは今も健在している。
P**** の 3 ウエイスピーカーボックスにはまっている。( P*** のウーハースピーカー腹の立つことに聞いているうちに変な音がし出して良く見るとコーンのエッジがウレタン製の為ボロボロとなりコーンが宙にういて鳴っていた。箱とMid とHiのスピーカーは健在。( 2番目の写真 ) 実に40年前の代物。スピーカーと箱とのマッチングがよくなかったのか、人様の16センチのスピーカーの方が良い音がした。

この16センチスピーカーは音のまとまりが良く捨てがたいものがあっ た。三菱のダイヤトーンは今でも記憶のなかにある。話は横道にそれ たが、低音が貧弱でパワー不足は否めなく、6BQ5 PP アンプの製作 意欲が沸いたが、ア ウトプットトランスが高くなかなか手が届かなかった。
ようやく手にして作り上げたアンプも、スピーカーと箱のマッチングが悪かったのか、こもったブーミーな低音だった。メーカー製のステレオが高度化していった時代で技術力と財力には勝てなかった。(サンスイ、パイオニャ、トリオ、三菱等家電メーカーが競ってステレオに力をいれた) 努力は空しく、自作の時代は過ぎ去った感があった。
オーディオ評論家はこのへんらから音響製品の組み合わせを云々しだした。アンプはどこ、スピーカーはどこ、プレーヤーとの相性はどこ、と盛んに評論した。
スピーカーは、全域にわたり平坦な特性を出すのが難しく、得意な分野で本領を発揮させようと音域を分担してのマルチスピーカー再生へと試みられた。当時は大きいのが流行で、部屋が狭いのに場所を取っていた。


ウオークマン MD MD 桜 花

ステレオはトランジスターの時代となり、自作はなかなか難しくなっていったが、そのうちパワーアンプICなるものが世に出始め手軽にハイパワーアンプが作れるようななった。パワー部はブラックボックスでもその周辺のトーン回路、プリアンプ部、入力セレクターなど、プリント基板にフォトエッチングし、ステレオ雑誌のコピーが十分楽しめた。
10年前までそのアンプは使用していたのだが、 メーカー(SONY)製の魅力に負けたのと、トランジスターノイズが気になり、金も無いのに切り替えた。
この製品は4チャンネルで音楽ホールを再現できるものだったが、部屋との相性がよくなかったか、あんまりホールフェーズでは聞くことは無く普通のステレオで聞いていた。この少し前にCD が世に出始めていた。
それまではオープンテープデッキ(19cm/s)SONYのTC-350 にFMやレコードから録音したものを中心に聞いていた。
何しろ、レコードのような手間要らずと長時間再生が魅力なのと、けっこう良い音がして、人様のレコードを録音させてもらい、たくさんのテープライブラリー(4番目の写真)が出来た。
オーディオはまだ重厚なものの全盛時代で、今のようなコンパクトなコンポはまだ 世に出ていなかったが、カセットをレシーバーで聞くと言ったイメージの先駆けとなったのはSONYのウオークマンWM-F202でサルが聴いているCM で出世間を驚かせた。これがカセットレコーダーかと疑いたくなるような良い音に2度驚いた事であった。しかも単3電池1本で の駆動でラジオ付であった。


その次はMD(MZ−E3/SONY)初代で、次の MDは(MZ−R900/SONY)であるが、ポータブルの2代目で録音付きでLP対応で今も大活躍中である。今は再生専用の3代目も活躍中、初代はその当時としてはかなりコンパクトであったが重量があった、単3電池2本で駆動していたが録音は出来ないタイプだったので、すぐにMDデッキを買うこととなった。
さつき さつき さつき さつき さつき


ウォークマンからMDがこの世に出るまで5年ぐらいかかったであろうか。MDの登場により、テープノイズとテープの巻きつきやヘッドクリーニングなどのわずらわしさから開放され、CDなみの音と長時間再生とランダム再生が可能となった。
考えが古いのか、昔の先輩諸氏のオーディオ装置に魅了されたのか、相変わらず、重厚長大な方向で、システムを少しずつ買い足していった。
買い足しに時間が掛かったため、システムが入り口から出口までそろった頃には、新シリーズが出たりで、むなしさが残った。 世間では、コンパクトなコンポが流行しだして、店先からも、大きいものは消えてしまっていた。
M D はまだLP 録音が出てなかったので、74分が最長だった。これを補完したり M Dへの編集に、DAT(デジタルオーディオテープ)が長時間の録音が出来て重宝した。テープも沢山出来たが、M D-LPの出現とともにあまり使わなくなった。
それにしても技術の進歩は目覚しいものがあり、MD-LPが発表されてそんなに時間がたっていなのに今度は45時間もの超長時間の録音再生が出現するとか、まさに驚きです。そして今やハードディスク内臓のiポッドなる物の出現で音楽業界は大きく変貌しようとしています。


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