管理人(AGB)に、50の質問をして、プロフィールを紹介します。
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- By-JH4AGB/3
1.生まれはどこですか、生い立ちは。
・千葉県の御宿です。小学校は以前の中山町の上中山小学校に入学しましたが、色々あって、鳥取大火の後に鳥取に来て、醇風小学校に転校し卒業しました。
2.中学校は
・鳥取西中学校です。
3.高校は
・県立鳥取工業高校です。卒業は昭和37年のことです。貧乏家庭でしたし、頭の能力がなかったので、就職しました。
4.会社はどこに就職しましたか。
・電力会社に入りましたが、そのころは、景気がよくて、仲間は京阪神に就職しました、それがとてもうらやましくてなりませんでした。
5.どんな仕事でしたか
・今で言うところのオペレーターで、三交代でした。10年ぐらいオペレーターをやっていましたが、昼間の仕事がしたくて、やっと日勤の仕事に変わりました。
6.日勤ではどんな仕事でしたか。
・設備の保守や点検、設備の建設でした。
7,コンピューターに興味がわいたのは何時ごろですか。
・30才代前半ぐらいです。当時はまだ、パソコンはなくて、オフィスに設置するコンピューターしかないときで、なかなか手にする事はありませんでした、そうこうしている内にメーカーがパソコンを販売するようになりました。でもまだ手に入れるような状況にはなりませんでした。
8,コンピューターを手にしたのは
・NECがTK-80と言うトレーニングキットを販売したのがきっかけでした。本物は高くて手が出ないので、コピー商品を買いました。
9,そのコンピューターはどんなものでしたか。
・8ビットの8080と言うCPUが搭載された、マシン語レベルのキットで、基盤の上に8の字セグメントと16進の押しボタンとCPU、とその周辺をサポートするICが付いていました。
10,そのキットでは何ができたのでしょう。
・表示は8の字セグメントでしたから、それに表示できることができたのですが、何をしていたかは忘れました。キットを動かすマシン語レベルの本が出ていて、その本のコピーで動かしていたと思います。
11,その後どうなりましたか。
・その後BASICという高級言語が開発されて。BASIC基盤を組み込んで、曲りなりに、BASICが動くようになり、
TVをデイスプレーにしてのゲームなどを本を頼りに、入れて遊びました。そのころインベーダーゲーム全盛のころでしたから、
インベーダーもどきを動かして楽しんでいました。記念に今も大事にしまってあります。
12,本格的なパソコンを手にしたのは、
・NECがPC-8001というパソコンを発売しましたが、手にすることはありませんでした。
5年ぐらい後にPC-9001が出たのだけれどそれでも手にすることはなく、PC-6001と言うファミリー用でゲームや音楽が楽しめて少し安いと言った事で飛びつきました。アスキー社がアッセンブラーを出したので、マシン語レベルも楽しめました。9001Fが出てやっと本格的なパソコンを購入しました。
でも、とても残念なことに、そのすぐ後に9001Mが出ました。何が違うかと言うと、9001Fは、記憶容量600Kb
そして9001Mは1Mbのフロッピーが搭載されており、フロッピーが今の標準品でした。
金を追加してでも交換がして欲しかったのですが、交換には応じてもらえませんでした。今なら、ディスクだけを交換可能なのですが、其の当時は、メーカー戦略とディラーさんを恨みました。
13,その後のPC変遷はどのようでしたか、
・暫くはその9001Fで我慢をしていたのですが、1Mbpsのフロッピーの互換性が必要になり、外付けの3.5インチフロッピーを購入しました。其の頃のメーカー物はとても高くて、2流メーカーの物しか購入できませんでした。それで一応ほかとのフロッピーとの互換性ができて、ソフトを貰うことができる様になりました。
14.其の頃はどんなソフトが活躍していたのでしょう。
・もっぱら一太郎、花子の全盛のころで、ほかのソフトはありましたが、ただで入手できる物に限られましたから、それ以外は見当たりませんでした。
15.仕事には活用されたのでしょうか。
・ほとんど遊びで使っていました、遊びと言えば、ゲームのソフトをコピーする強力な助っ人があり、コピーガードをどんなに強くしても、そのまた強い助っ人が出ると言ったシーソーが続いていましたが、あんまりコピーガードを強くすると、正式物でも動作が不安定になり製造メーカーも困っていました。
16.遊びのほかには役に立たなかったのでしょうか。
・本気で仕事に使う人はいましたが、大分たってから仕事に使うようになりました、ですがこのことが後で困ることになりました。
私は早い時期から年賀状作成にはコンピューター化していました。何しろ字を書くことが大の苦手でしたから。
其の頃のプリンターとソフトは今のようにきめ細やかでなかったので、はがきを台紙に挟んで印刷していました、ですから失敗も多く、精神を落ち着けて台紙シートに葉書を挟む必要があった。
17.後で困ることになると言うことでしたが。
・だんだんと会社全体が共通のソフトで動くようにシステム化してきましたので、一部のいわゆる先駆者は、自分のソフトになれ楽しんでいた関係と、たくさんのデーターを捨て切れなくて、データー変換ソフトなる物のお世話になっていましたが、段々とお別れするときが来ました。
18.管理者の場合どうだったのですか。
・私は、どちらかと言うと、一太郎、花子になじめなかった、と言うのも、別のソフトを使っていたからです。其の頃「アート」と「デーベース・スリー」を主に使っていましたから、会社の「ワード」・「エクセル」にはなじみやすかった。
19.切り替えはスムーズだったと言うことですが。
・切り替えはすんなり行ったのですが、時勢は、Windowsへ、変わりつつあり、新たなマシンが必要になりました。
この反発でWindowsへは、一時中断する羽目になりました。個人個人にパソコンが与えられましたから、
会社には自分のパソコンは必要がなくなり、また家では従来のパソコンで十分でしたから。
20.何故Windowsを必要とされなかったのですか。
・会社で与えられたパソコンのソフトはWindowsで動いており、文章のキー入力とマウス操作で事足りるようになったからです。
これは、DOSのファイル操作も、自分でくみ上げたBASICも必要とされない世界だからです。
其の頃それほどに完成されたソフトの「ワード」・「エクセル」だった。必要とされなかったのでなく、
自分が必要としなくなった。現在のオーディオのように自分流が出来なくなったからかも知れません。
21.自分のパソコンでWindowsが動いてないとWindowsボケになりませんですか。
・言われるとおりで、会社での仕事にはまったく自分流での操作が必要もなく、文章のキー入力とマウス操作で事足りる世界ですから。
使ってはいるのだけれど、WINDOWSの世界からおき去られて浦島太郎になっていました。
22.どのくらい離れていて、何故Windowsに戻られたのでしょう。
・5、6年は離れていたと思います。何故Windowsに戻たと言うより、時代は進んでパソコンはWindowsしかなかった。
何故パソコンが必要になったかと言うと、それは、デジカメの出現でした。
写真は銀塩フイルムカメラで山の写真を主に写していましたが、印刷と言うか焼付け(プリンターは自由)が自分の自由にならない、
フイルムがいらない(扱いが楽)、写真屋から現像が出来てこないと写した、出来栄えが確認できない(その場で確認が出来る)と言った不便さ。
フイルムが無駄(私のの様にへたくそにとっとは、その場で失敗は消せるから)になる。そんなこんなで、デジカメに取り付かれた。
そして、パソコンが必要になったと言うわけです。
23.デジカメの使い便利さはどうだったでしょう。
・時代はコンパクトでフルオート(いわゆるバカチョンカメラ)、の全盛で、フイルム付きカメラまで出てくる中で、価格は少し高め
電池の消耗は激しく、写すまでの段取りに暇がかかる、そして、シャッターを押してから実際に写るまでにわずかに遅れる。
普段、生物や風景を写す分には支障がないが、子供やスポーツを写すには、チョットした技術が必要になる、また、LCD画面が暗くて
良い天気だと、自分の顔ばかり見えて、被写体が見ずらいなど、色々と不具合があった。それなりの対策をしながら写してはいたが、
数年たつうちに、これらの不具合も随分と解消されてきた。
何とかかんとか言っていますが、私にとって、デジカメの利便性は評価に値します。
海外でも使えるように、充電器は100V、200Vオールマイティとなっているし、メモリーは数100Mバイトまであり、持ち運びに楽である。
今は金さえ出せば、自分の腕をはるかにしのぐカメラが登場してきた。でも、困ったことに、プリンター、パソコン、ソフトをそれなりの
レベルに上げないと、その真価が発揮できない、何時の世も金が物を言う時代で私のような、アマチュアで金なしには縁の遠い存在になりつつある。
24,インターネットの世界に興味を持ったのは何時ごろ、そして動機は。
・Windowsパソコンを手にした頃だったでしょうか、よく覚えていません。動機もただなんとなしにと言う感じです、まあ、
新し物好きな面がありますから、何時かは取り付いてやろうと言う気持ちは常にあったとおもいます。
25,ホームページを立ち上げるきっかけは。
・AGB/2にも書いている通り、インターネットが見れる環境になった時から何時かは、と思っていました。具体的になったのは、
今入っているブロバイダーに乗り変えた時に、メールアドレス、ホームページアドレスが用意されていたからです。
26,インターネット立ち上げでの苦労話を。
・私の身の回りにはそうした事に強い人が居なかったから、すべて独学でした。本屋さんには、色々とホームページ立ち上げの本は大分出回っていましたから、
一番簡単な本でやさしそうな本を選びました。著者は女性でしたから、また、雛形を中心にホームページを説明し展開するようになっていました。
はじめは、ダウンロードした、雛型を参考に一部修正して、簡単なページを作りました。自分のパソコン上では何とか格好がついたのですが、本はXPでの
説明でしたから、ブロバイダーへの転送方法に困りました、私のパソコンはウインドウズ98で、転送のソフトがなかったのです。
27,どのようにして問題解決を図ったのですか。
・加入している、ブロバイダーに色々と尋ねましたら、曽田さんのFFFtpと言うソフトがベクターにあり割と簡単です、との答え。早速ダウンロードして使おうとしたが、
色々な設定があり、この設定が初めての人には分かりずらい。ことのついでで、ブロバイダーに問い合わせたら、他人さまのソフトのことなど回答できません、との事で、
またまた路頭に迷いました。でも、色々にいじくっていたら、少しずつ、謎が解けてきて、ブロバイダーのホルダーに私のホームページが転送できました。
教訓、色々と試していたら何とかなる。
28,その後どんな苦労がありましたか。
・私の家は其の頃、新築したばかりでした、インターネットはケーブルで加入すると決めていて、TVのコンセントがあれば良いと思っていました。
ところが、家の引きこみ口で、別配線が必要ですと、言われたときは愕然としました。別配線は困るので、とりあえずという事で、ADSLでの加入となりました。
電話のモジュラージャックは2階にもありましたが、パーフェクTVの情報に使っていましたのと、パソコンのある部屋が離れていたので、1階から無線で繋ぐ事にしました。
この無線の設定がまた、初心者の私には一苦労で、これも大分時間が掛かりました。無線ルーターと98とIEとの相性やバージョンの違いなど、現在のXPなら問題は無いのでしょうが、
でも、この時の苦労が後になって生きてきました。
29,ホームページの改良は、どうしましたか。
・ホームページの立ち上げや改良には直接金を掛けないとの考えでしたから、ホームページ作成ソフトは使用していません、先にも言いましたが、本の雛型の改良と追加で、何とかしのいでは居ますが、
人様のホームページのように格好よくはありません、インターネットの検索で色々と参考にしながら自分のページに付け加えています。
「おまけコーナー」がいい例です。一番素人だなと分かるのは、画面を900Pixelで設定している関係で、これより
小さい画面や、「お気に入り」を大きくしている場合は、ツギハギだらけで作っているので、画面が壊れてしまうことです。CSSファイルやテーブルを活用すればいいのですが、難しいです。ココラあたりで自分の能力の限界を感じます。
30,自宅にサーバーを立ち上げようと思いついたのは。
・だんだんとホームページの改良と追加をして行くうちに、メモリーが沢山要るようになりました。特に私の場合、写真を沢山乗せたいと思っているので、メモリーはすぐに無くなってしまいます。
ブロバイダーにメモリー増設し金を払うのが、なんとなく惜しいように思っていました、ですが、自宅サーバーを立ち上げるには、ブロバイダーさんにお金を払うより沢山の金(設備費)とそれなりの知識が必要になります。どっちが得か分かりません。
ですが、一旦立ち上げると、メモリーは、メガからギガの世界に突入して、HDDの記憶容量のあり次第、好きなだけ使うことができます。
31,具体的に成ったのは。
・AGB/2にも書いていますが、ノートパソコンが結果的に余ってきたからです。私のノートはウインドーズMEですが、色々の本ではMEはOSがだめと歌っていました。しかしながらこのノートを捨てておく手は無いと、このMEのノートで、自宅サーバーを立ち上げることに決心しました。
このことが、後まで尾を引いて、自宅サーバーの立ち上げを遅らせました。一応動いているのですが、時間とともに、OSがハングアップしてしまいます。
CGIが負担なのか、OSの一部停止になっていました。そこでMEを諦めて、XPを購入するか、何か良い方法はないかと模索している時に、玄箱の情報をえました、本屋さんで「玄箱で遊ぼう」を見つけて、本を読んでいる内に
何とか改造して自宅サーバーマシンに出来そうな気がして、本体を買いました、ですが、現実はそんなに甘くなくて、いまだに進行中です。其のため安くてコンパクトなXPマシンを購入することになりました。
32,どんなマシンですか。
・富士通の業務用マシンで、光コンボだけは付いていますが、今時の家庭用マシンのように贅沢な装備はありません。でも業務用だけあって、耐久性は有ると思っています。
自鯖マシンの性能緒元表初代マシン(H26/8/21ダウン9年間働いてくれました)
名前
|
OS
|
CPU
|
メモリ
|
HDD
|
光ファイル
|
消費電力
|
アプリケーション
|
|
FMV- E3200
|
Xp
|
セレロンD 325(2.53GHz)
|
512MB 2GB(H25-7-3)
|
40GB
|
DVD-ROM & CD-R/RW
|
59W MAX 273W
|
無し
|
自鯖マシンの性能緒元表2代マシン(H26/8/24稼働開始)XPのサポート終了に伴うセキュリテイ不良でダウン。
名前
|
OS
|
CPU
|
メモリ
|
HDD
|
光ファイル
|
消費電力
|
アプリケーション
|
|
SOTEC WinBOOK DN3030
|
Xp
|
セレロンD 350(1.73GHz)
|
1GB
|
80GB
|
DVD-ROM & CD-R/RW
|
30W MAX 90W
|
Office Personal 2007
|
自鯖マシンの性能緒元表3代マシン(H27/4/1 稼働開始)
名前
|
OS
|
CPU
|
メモリ
|
HDD
|
光ファイル
|
消費電力
|
アプリケーション
|
|
UNITCOM
|
7 -64Bit
|
セレロン(R) G1610(2.6GHz)
|
4GB
|
500GB
|
DVD-ROM & CD-R/RW
|
?W MAX 19V 6.32A
|
無し
|
ものの本によると自宅サーバーマシンには、そんなに性能的には優れていなくても十分と書いてあります。
このマシンはCPUとしてはかなりの性能を持っています、ですが、光コンボがいまいちですしアプリケーションはありません。まー、CGIを多用したいとか、
うまく玄箱が動いてくれたら、FMVを次期の家庭用マシンに使えば良いと、思い切りました。
現在、SP2と無料のマイクロソフトの「セキュリテイソフト」をインストールしています。ディスプレーは中国製の安いものを購入しました、常時は消しておくものですから。とは言ったものの、最近電源スイッチの不良でディスプレーが立ち上がりにくく困っています。
追伸 余りにもスピードが遅い為メモリーを512Mから2GBに更新しました。(H25-7-3) 2代目でしていましたがXPのサポート終了と共にセキュリテイソフトも更新されなくなり遂にはウイルスによりマシンがダウンして今は3代目マシンで運用中(H27-4-1)。
33,立ち上げは旨く行きましたか。
・思いのほか簡単でした。MEで動いていたのですから、移植は簡単でした。MEでの色々な経験がモノをいったのでしょうか。ただこのマシン電源部での発熱が多いように思います。CPUにもよるのでしょうが、音は静かです。
34,これで、メモリーの確保は十分になりましたが。
・ブロバイダーにあるページと自宅のページは当初同じで運用していました。せっかく自宅サーバーが立ち上がったのですから、自宅サーバー版の充実を図ることにしました。
35,何を充実していきましたか。
・画面構成を基本的に改造するには、とても、技量と時間が掛かりそうなので、現在の画面に追加することで今は、がんばっています。写真、アニメにリンクして、色々な写真をスライドショーで見てもらうことが中心です。
また、画像の色々と言うことで何か面白いことをしたいのです。今は、パノラマ、スクランブル画像などを提供していますが、ステレオ画像などもやってみたいですね。そして、ライブカメラ等にも挑戦したいが、残念なことに面白い被写体がないです。
36,何かこうしょうとか、将来への展望とかは。
・今の処、特別な物はないです。ただ、鳥取のPRと言う事が主題ですからこのテーマは継続し拡張したいと思っています。出来ればもう少し見栄えがするように、そして、ヒット件数(お客様訪問の数)がもっと増えたらなーと思っていますので、其れなりの対策を講じようと思っています。
ソフト的には今の処其の程度なのですが、ハード的には、玄箱をサーバーマシンに仕立てて、これで運用したいと思っています。
この箱は、普通のハードディスクを一回り大きくしたような大きさで、ディスプレーを持っていませんから、消費電力もわずかで、とても静かです。TELNETで遠隔仕込みをする機械です、中身はLINAXで動いています。
LINAXですから、私の周辺では詳しい人は居ませんので、相当の悪戦苦闘を余儀なくされると思いますが、挑戦する価値はあるとおもっています。最近の自鯖マシンは殆どLINAXで動いています。玄箱で出来なくても、普通のパソコンでもLINAXは動かせますので、其のほうが、簡単かも知れません。
いずれにしても、LINAXはとてもハードルの高いOSです。
37,自鯖の立ち上げで何か、これからやって見ようと思っている人へに参考になる事はありませんか。
・参考になる事は、個々のパソコンを扱う技量によってさまざまだと思います。私の場合、AGB/2にも書いて居ますが、
「自宅にファイル共有サーバーを構築する」と言う本(福多利夫著)で何とか出来たのですが、きずいた点や悩んだ点を紹介して、
参考にしたいと思います。
(1),
Perlのダウンロードゃ、インストールで悩みました。私の場合、当初MEでしたから、インストーラーが必要で、
本に書いてあるだけでは英語力がないので、次に進むときにどうすればよいのか、XPの場合はインストーラーは
必要ないので簡単かも知れません。事実FMVへの移植は簡単でした。
(2),Perlのファイルの位置と設定ファイルの位置など、迷いました。始めはDドライブにしようと頑張っていたのですが、
Perlとのパスの関係が旨くいかず、結局本の通りにしました。困ったときに本を詳しく読めば、解決策はあるのですが、
いい加減に読み飛ばして居ることが原因だったようです。また、後で分かったことですが、
インターネットの検索で大体のことは解決策が見つかります、ただ直接的に答えてくれる記事はないので、根気欲探せばですが。
(3),CGIなどのファイルを編集するには、其れなりのエディターがあったほうがベターです。たとえばメモ帳++とか。パールエディターとか。
(4),ルーターの設定で色々と迷いましたので、事前にルーターの説明書を読んである程度の知識を得ておいたほうが良いです。私の場合無線ルーターだったので
設定変更に時間がかかるし本には説明していない事項もあったり色々迷いました。あんまり自動化設定が完備していると、特殊な設定をする必要がある場合、苦労
することになる。出来たら無線ルーターは避けたほうが良い。どちらにしてもルーターの概念を理解する必要があります。
(5),セキュリテイに関してはまだ洗礼を受けていないので、なんとも言いようがないが、私の気持ちでは、旧型のマシンでは、セキュリテイが十分でないので、素人は
この対策が難しい、結局は最新のセキュリテイを完備している、新しい、OSのバージョンアップをサポートしているマシンに頼る事になるように思っています。
結局それが早道かなーと思います。
(6),自鯖の動作確認が出来る方法があれば、悩みも少なくなる。私の場合、携帯電話がなかったので、確認が出来ず困りました。
後から分かったことですが、パソコンおやじや、
鷹巣のホームページには、
確認できるコーナーや、色々の説明をしていますし、ほかのサイトも紹介しています。ぜひ参考にしてください。
欲を言えば、同じような仲間がいれば、最高に幸せに自鯖が構築出来ると思います。
38,ちょっと方向を変えて、趣味の事について触れます。
・趣味といえるかどうか、ほかに能力が無いので、写真とインターネットのホームページに関わること。とでも言っておきましょうか。
あまりアウトドアは得意では在りませんのでどうしてもこうした事に落ち着くようです。趣味としてもう少し高度なものと思うのですが、何しろ手っ取り早いのでお茶を濁していると言ったほうがあたっています。
agb/1でも触れていますが、音楽、オーディオも仲間に入れたいのですが、最近トンとご無沙汰です。JAZZのCDはどんどん増えてはいますが、まじめに聞いてはいません。
39,映像(ムービー)には手を染めなかったのですか。
・映像の世界にはどうも馴染みが無く(機械が高いと言う印象があった)ので、全然やっていません、ただ、パソコン抜きでのVTRやDVDにはある程度やっていました。2年前に液晶TVを退職記念で貰った記念品(金)を残していた金で買ったとき
DVDリコーダーも同時に買ったので、しばらくは、NHKのBSの映画を録画していました。随分と録画しましたが、見る機会が無くて、今は、中休みです。以前のVTR時代も同じようなことでした。パソコンとの接点は今の処ありませんし、今後も多分しないでしょう。
40,バーチャル観光と言うコーナーがありますが。
・先ほど言いましたが、この二つの趣味をかなえると言うか、みなもとは、まさにこれです。今NHKの歴史探訪に参加して講師の先生の指導で鳥取を中心として、
歴史に関わる地区を探訪していますので、歴史上の写真や其の土地の風景を撮る機会はあります。ですが、3つのテーマのうち、2つは何とかクリヤーできるのですが、
ひとつ残っている、海外編については、ネタ切れしています。暇はあるがお金が無いのが原因です。この分では閉鎖もやむを得ないでしょう。
41,写真の元であるデジカメ本体について。
・私が始めてデジカメに接したのは、オリンパスの製品でした、職場で購入したものでした。当時(約10年前)の印象としては、写真の生命のレンズは小さいし、ずんぐりむっくりスタイルは悪く、外観的には良い印象はありませんでした。
でも、見かけによらず写り具合は良かったようです。其の頃まだ、プリント紙はそれほど高級紙はなかったけどかなりの出来栄えだったように思いました。
とにかく一番気に入ったのは、好きなように小細工が出来て印刷が出来ると思ったからでした。
電子的に送ることも可能という点も気に入りました。デジカメを自分の物としたのは、6年ぐらい前だったと思います。私はSONY党でしたから、ほかの機種にはまったく目もくれずに、値段との絡みもあったけど、DSC-70にきめました。
42,DSC-70の性能とか、使いかってについて。
・はじめは、何でこのカメラはレンズが片一方に寄っているのかなーと、思っていました。普通の銀塩カメラは真ん中にあるのに。
カメラも構えにくいし、でも体はすぐに慣れてしまいました。当時は一眼レフカメラで結構おもいものでしたから、
重さとかさばりから開放されたのですが、電源を入れっぱなしでもオートパワーオフが利く関係で、こまめに電源を切らなかったので、
電池の消耗の早さに悩みました。
それで、こまめに電源を切ることで解決しました。それでも、電池のハングアップは致命的で、充電
出来る電池ですが、市販の乾電池との互換性がなかったので、予備の電池を買いました。また、フイルムに相当する、メモリーも初めから
付いているものは容量が少なくすぐにメモリーオーバーに成っていました、それと言うのも、性能いっぱいの画素数で写していたからでした。
これも、被写体の内容によって切り替えるようにして、メモリー節約をしていたのですが、どうしても不便なので、これも予備を買うことにしました。
ここらあたりは銀塩フイルムカメラでは無い使用方法でした。
結構機能があって、なかなか使い切れなかったけれど、使っているうちに、段々と不満が出てきました。レンズが沈胴式でしたから、写せる状態になるまで
暇がかかる。また、シャッターを押してもすぐに切れない、白い被写体にはフォーカスが甘かった。オートフォーカス特有の後ろ側にピントが合う、
と言うのも不満でした。ですが、コンパクトで3倍ズームとデジタルズームで9倍は魅力でした。一眼レフなら、望遠レンズを持って回らなければ成らないのに。
コンパクトがゆえに、よく手が滑って落としました。比較的頑丈に出来ていました。でも最後は、PCモード?とか言うモードになったきりカメラとしての機能には
ならず、2代目の購入にふみきらざるを得ませんでした。まったく修理は考えませんでした、3年以上使っていると、新製品がいろいろのメーカーからも出てきて
段々と見劣りがするように成ったからでした。
43,二台目のデジカメ(DSC-F717)について。
・二台目のデジカメはやっぱりSONYのDSC-F717です。このデジカメは一台目よりかなり性能がアップしていました。
この機種は初代でなくバージヨンアップをした物で、私にとってとては高値の花でしたが、カタログ性能に魅せられて、
思い切って買い換えました。DSC-70に比べて随分とレンズ部分が大きく、レンズの性能はアップしていましたが、
色々な事を取り込んでいるため、無理があるみたいです。
レンズ部と本体とが角度を変えれるようになっており、被写体に
対して、色々なバリエーションで写せるので、気に入っているのですが、レンズと本体の取り付け部分が少しやさく、取り扱い
注意といった感じです。全般的に満足はしていますが、白い被写体へのピントはやっぱり苦手です。シャッターラグは随分と
改良されていますが、もう少しと言った感じです。写し方が悪いのか、フラッシュを炊かない暗い部屋での撮影は、DSC-70の方が
手軽でよかった。オートで写すとDSC-F717は、時間がかかり手ぶれになってしまう。(モード切り替えか何かで最良の方法が在るのかも知れない)
44,最近一眼レフタイプのデジタルカメラが出回ってきましたが。
・一眼レフは持っています、望遠レンズもあるのでレフタイプへの転向は魅力的ですが、又ここで多額の出費を考えるとなかなかという感じです。
今のデジカメでもまだ十分だと思っています。コンパクトという面ではやはり今のままで、良いかなと思います。大金が転がり込んできたら話は別ですが。
45,質問も残り少なくなってきましたが、今後の自鯖に対する取り組みをもう少し詳しくお願いします。
・WINDOWS XPでのサーバーでも良いのですが、ハードルの高いLINAXでの自鯖が最終目標です。
現在、もうひとつのパソコンでLINAXを立ち上げれるようにはなりましたが、・・・まだ周辺機器(プリンターやUSB機器)との
接続が、一筋縄で行かないのが現状です、思うようには行かないすです。インターネットへ接続するためのモデムも相性が在るみたいでまだ、確かめるまでには
いたっていません。その他各種設定が必要になりますが、いまだに未完です。特にLINAXは色々な、ディストリビュージョン(OSの様な物)が多く、まだまだコマンドレベルで操作することが多いので、他の、ディストリビュージョンで
やっていることが役に立たないことがあります、まーそういう世界と思っています。
46,玄箱について、再度取り組みを。
・私が手にしている玄箱は初代品です。色々と試すのですが、本に書いてある事が実現しません。まったく自分の技量、知識不足を感じます。
最近、「玄箱の本」と言う本が出ましたがこれは玄箱/HGをターゲットに書かれているため、私の参考には成りずらい。本体の玄箱の発売元は
玄人志向と言って、私のような素人にはまったく手を差しのべたりしません。そんな素人さんに、玄箱を購入してもらわなくてもよい。との事。
取り付く島が無いわけですが、根気よく、薄皮を剥いで行くが如くに取り組めば、道は開けるとの信念でやるしかないです。
47,LINAXパソコンと玄箱のどちらで自鯖を完成させるのでしょうか。
・今の処私にも分かりません。一番魅力はやはり玄箱です。コンパクトで、消費電力が、25W、音も静か、この玄箱、実はバッファローのLinkStation(ホームネットワーク)が基本で
玄任志向が改良した物と思っています。それが証拠に、プリント基盤には「BUFFALO」のシルク印刷があるのです。ですから、ソフトの仕込みさえ旨くいけば、ハード的には十分な品物ものです。
何とか、物にしたいですねー。省エネで動くマシンですから。
48,ネット回線のレベルアップはどう考えているのでしょう。
・ネット回線は12MのADSLで運用しています。先輩諸氏の話によると、ADSLで運用されている方も多いです、ですから、今のままでも良いのですが、欲を言えば、光にしたい考えはあります。
ですが、光はサービスが飛躍的に向上しますが、値段も飛躍的にアップします、月給も貰えなくなる歳ですから、我慢を余儀なくされます。漠然としては光に乗り換えたいのですが、
現実は厳しい物があって簡単には答えが出ません。時が解決するでしょう。
(PS 追加)平成18年5月に、光を導入。
49,家庭内LANとかTV・ビデオとのLANについて、考えは。
・家庭内LANについては、無線で現在実現中です。ただ、1階と2階とでは,障害物の関係で電波のレベルが厳しいです。場所によっては
時間がかかりますがこれで我慢します。サーバーについてはサービス向上の観点からラインを使います。
無線ルーターの規格やDVDの規格、の変更も予想が付かないし、TVのデジタル化を向かえどうなるか分かりませんので、ケーブTVとビデオについては基本的に、取り入れるつもりはありません。
常時端末の電源を生かしておくのは勿体無い気がします。それより個々に記録媒体を動かしたほうが、ミスがないと思っています、
サーバーを常時活かしているので、外部からの対策が十分でないから、またそれほどに利用するチャンスがない事もあります。
何より放送局から流れてくるソースを見るのが精一杯の状況だからです。
50,最後に、何時までホームページを運用しますか。
・今、言えることは、「思考の出来る限り」、とでもいっておきましょうか。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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